東京国税局の職員からフリーライターへ――。異色の転職を遂げた小林義崇(こばやし・よしたか)さんは、ブックライター塾の1期生。2017年にフリーライターとして独立し、現在はブックライティングの他、雑誌記事、ウェブメディアなど数多くの媒体でインタビューやコラム執筆を担当。前職の経験を活かし、主に税金や経済といった分野で活躍されています。
ブックライター塾で学び、「やりたいことを仕事にして人生を豊かで楽しくできた」という小林さんに、異業種からライターになった経緯と、ブックライター塾で得たことについてお聞きしました。
小林義崇(ブックライター塾1期生)
取材・写真/長沼良和(ブックライター塾5期生)
安定した公務員からライターへ 独立する前と後を振り返る
――ライターとして独立して、初月から収入が20万円以上あったというのは本当ですか?
はい。独立前までは職場が副業禁止でライターの仕事ができなかったのですが、休日に取材や執筆の勉強をさせていだいていたPR会社があり、独立後にすぐお仕事をいただくようになりました。また、私が独立した初日に、ブックライター塾の同期の方から、「知人が勤めている会社で開催する勉強会に参加しないか」と誘われたことも仕事のきっかけとなりました。そこがメディアや編集関連の会社だったので、知り合った編集者の方から執筆の仕事をいただいたんです。その他にもいろいろありますが、どれも塾で知り合った方のつながりで得た仕事から、トータルで20万円程度の収入になりました。そこから少しずつ仕事が増え、現在は前職と変わらないほどの収入になりつつあります。
――副業禁止の職場ですか。ライターになる前は何をしていたのですか?
東京国税局で働いていました。とくに不満はなく、恵まれた環境だったと今でも思っていますが、週末も税金の勉強をしている仕事熱心な後輩と出会ったことで、「自分はそこまで仕事に打ち込めないな」と思い、「このまま今の仕事をしていていいのかな」という疑問を感じるようになっていました。それで外の世界を見たいと思ってビジネススクールに通うことにしました。
人生を大きく変えた一冊の本
――なぜブックライター塾に入ろうと思ったのですか?
そのビジネススクールで、最初に「自分がやりたいことをはっきりさせる」という趣旨の授業があり、「自分は何をしたいのだろう?」と自問したとき、「文章を書く仕事をしたい」と気づいたんですよね。当時、文章を書く仕事といえば作家だと思っていたのですが、すでに2人子どもがいたこともあり、経済的にも作家を本業とすることは難しいだろうと感じていました。
そんなとき、書店でブックライター塾の塾長である上阪徹さんの『職業、ブックライター。 毎月1冊10万字書く私の方法』(講談社)を見つけました。ブックライターが本を作る仕事だと紹介されていて、自分のやりたいことに近いかもしれないと思いました。自分がやりたいと思うことが仕事として成り立っていて、しかも経済的に豊かになれる。そのことに衝撃を受けました。
そこで、Facebook経由で上阪さんに本の感想をメッセージで送りました。すぐにお返事をくださり、近々ブックライター塾を開講すると教えてくださいました。受講料は決して安い金額ではなかったのですが、妻を説得してなんとか許可をもらって入塾の申し込みをしました。
――ブックライター塾の雰囲気はいかがでしたか?
普段自分のいるところとはぜんぜん違う世界という感じでした。
ただ、周りの塾生の方々は意外とライターを仕事にしている人は少ない印象で、会社員の方が多くいましたし、本業はピアニストという方もいました。いろいろな職業の方がいて、最初のうちは空気をうまくつかめませんでしたが、みなさん優しくしてくださったので、すぐになじめました。
ライターになる? ならない? 迷いに迷った葛藤の3年間
――入塾してからすぐブックライターになろうと思ったのですか?
いえ、かなり迷いました。一旦はこの仕事をしたいとは思ったのですが、実際に国税局を辞めるまでに卒塾して3年以上かかりました。家族を説得しなければならないし、自分としてもブックライターとしてやっていく自信が持てませんでしたからね……。職場のルールが許せば副業でライターをしようとも思ったのですが、やはりNGでした。
――卒塾してから独立するまでの3年かかったのですね。その間は何をしていたのですか?
卒塾して1年間は、実はライターになることをほぼ諦めていました。ライターになることに妻や母は猛反対でしたし、当時私は33歳。失敗したからといって再就職するのも厳しくなりつつある年齢であることを感じていました。
2年目は、ライターになることについて気持ちが盛り上がってきた時期です。
当時は、「男塾」という男性だけの卒塾生を集めた飲み会を開催していました。塾では女性の存在感が大きかったので、「男も頑張ろう!」という決起集会みたいなものです(笑)。かなり盛り上がり、やはりライターをやりたいとモチベーションが上がりました。上阪さんにもご参加いただいたときに、職場の理由で何もできないのならブログでも書いてみたらと提案されたので、早速開設することにしました。今でもこのブログは続けていて、ここから仕事をいただくこともあります。
3年目は、国税局最後の年にしようと決めてスタートしました。交流会で知り合った編集者の方から、税金や経済に詳しいライターがいないので、独立したら連絡をくださいという話をいくつかいただいていました。このことも気になっていたので、腹をくくってライターになることにしました。
――当初は大反対だった奥様をどうやって説得されたのですか?
卒塾してから1年間は強く反対されていましたが、「独立したら仕事をお願いしたい」という話がいくつか来ていることは、折を見て伝えていました。最終的に「絶対大丈夫」という自信はありませんでしたが、「なんとかなるから大丈夫だよ」と説得しました。「この人には何を言っても仕方がない」と諦めてくれたのかもしれません。
ブックライター塾で大きく人生が変わった
――ブックライター塾に入って良かった点は何ですか?
ライターになるための勉強をする講座はたくさんありますが、ここまでアフターフォローがしっかりしているところはないのではないでしょうか。
普通の講座では卒業したら終わりか、たまに同期で集まる程度だと思います。しかし、この塾では卒塾して何年経っても期をまたいでの交流はあるし、編集者さんとつないでいただくこともあります。Facebook上にコミュニティを作って、塾生と編集者が交流できる場も提供してくれるので、ブックライターになりたい人には本当にオススメです。私自身、この塾に入って大きく人生を変えることができました。
ライターになりたい人でなくても、人生が豊かになれるし、自分の仕事に活かせることもたくさんあると思います。